秋の果の碕の浜の みやしろに をろがみ祈る 世のたひらぎを・・・昭和57年10月4日昭和天皇御製

日沈宮(下の宮)朱に彩られた優美な社殿

境内からすぐの清江の浜の前の経島(日置島)に鎮座していた「百伎槐社」が、村上天皇の勅により、天暦2年(948年)に現在地に遷座と伝わる

内部は、上段と下段の間に分かれ、古文書によると上段の間は、「神楽所」と呼ばれていたとされる

島根半島の西端に位置する日御碕神社は、『出雲国風土記』に「美佐伎社」と記される歴史ある神社です

神社は下の宮「日沉宮(ひしずみのみや)」と上の宮「神の宮」の上下二社からなり、両本社を総称して「日御碕神社」と呼ばれます

蛭児社

花崗岩の鳥居の奥に朱の楼門が鮮やかに映え、松林を背景に荘厳な雰囲気が漂います
 

楼門をくぐり、右手の小高いところには「神の宮」があり、こちらには素盞嗚尊(スサノオノミコト)が祀られています

出雲の国造りをしたスサノオが、根の国(黄泉国)より「吾が神魂はこの柏葉の止まる所に住まん」と柏の葉を投げて占ったところ、柏葉は風に舞いこの神社背後の「隠ヶ丘」に止まったということです
昭和天皇御製「御神砂之碑」

その後スサノオの五世の孫、天葺根命(アメノフキネノミコト)がこの地にスサノオを奉斎したといわれています

日御碕の偉人

楼門の正面には下の宮「日沉宮(ひしずみのみや)」があります。
こちらには神話の中でスサノオの姉とされる天照大御神(アマテラスオオミカミ)が祀られています

日沉宮」は、伊勢大神宮は日の本の昼の守り、出雲の日御碕清江の浜に日沈宮を建て日の本の夜を守らん

十九社摂末社

(訳:伊勢神宮が「日の本の昼を守る」のに対し、日御碕神社は「日の本の夜を守る」)と天平七年乙亥の勅にあるように、神代以来、現社地にほど近い海岸(清江の浜)の経島(ふみしま)に建てられ、天照大御神を奉斎してきました

19社30柱

十九社摂末社・宝庫