江戸時代 徳川幕府が 崇敬す

日沉宮、神の宮の現・社殿は、江戸幕府3代将軍・徳川家光の命で、松江藩主・京極忠高により、日光東照宮完成直後の寛永11年(1634)に造営が始まり、

寛永21年(1644)松平直政の代で竣工する

以降、歴代藩主により崇敬される

両宮とも日光東照宮を模した権現造りである

三猿や龍の彫刻も日光東照宮と瓜二つである

「日沈の宮」の名前の由来は、創建の由緒が、伊勢神宮が「日の本の昼を守る」のに対し、日御碕神社は「日の本の夜を守れ」 との「勅命」を受けた神社であることによる

日沉宮、神の宮、楼門、回廊、禊所、宝庫、門客人社など12棟の社殿や鳥居2基、石灯篭5基が国の重要文化財に指定されている

楼門が見える位置に御影石造鳥居があるが、元は、かつての参道入口の宇龍(出雲市大社町)にあったが、1935年(昭和10年)に現在地に遷された

移転の際に銘文が見つかり、寛永16年(1639)に徳川家光寄進と判明

神社西にある清江の浜の入口にある鳥居も、家光寄進

日沈宮(下の宮):(重文)境内からすぐの清江の浜の前の経島(日置島)に鎮座していた「百伎槐社」が、村上天皇の勅により、天暦2年(948年)に現在地に遷座と伝わる

内部は、上段と下段の間に分かれ、古文書によると上段の間は、「神楽所」と呼ばれていたとされる

荒祭宮