六所社 出雲国庁 裏手にあり
松江市大草町にある六所神社
意宇神社一つで出雲国総社
意宇:大化から天武天皇期にかけて順次設置されたとされる八神郡のひとつであり、律令制の施行により制定されたと考えられる
郡名の由来について『出雲国風土記』が伝えるところによれば、「八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)」が国引きの大仕事を終えた際に「国引きを意恵(「おえ」、終わるの意味)」と言ったことから「意恵郡」のち「意宇郡」と呼ぶようになったという
熊野坐神社(熊野大社)の所在地として重んじられ、文武天皇2年(698)3月9日には近親者の連任を許す詔が下されている
一般に郡を治める郡司(評司)に近親者を続けて任命することは禁止されていたが、意宇郡では神社を代々まつってきた出雲氏が重視されたものである
意宇六社
熊野大社・真名井神社・揖屋神社・六所神社・神魂神社・八重垣神社
伊弊諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)、天照大神(あまてらすおおみかみ)、と月夜見尊(つきよみのみこと)、素盞嗚尊(すさのおのみこと)、大巳貴尊(おおなむちのみこと)が祀られ、この六神を主祭神としているところから六所神社の名がついたといわれる
意宇(いう)平野のほぼ中央にあり、律令時代、出雲国の総社であった
つまり出雲国内はここに参拝することで、出雲国内の全神社に参拝することにかえたわけである
昭和40年代以降の調査で、当時の出雲国庁は現在の同社境内をふくむ同社裏手一帯にあったことがわかった
式内社だが、出雲国司は最も至近の神社を総社としたわけだ
本殿は宇豆柱が前後にはみ出す古式を残す大社造(たいしゃづくり)
神紋はこのあたりの古社に共通する丸に有
この有は神在月の「十月」の図案化とも、あるいは神あり月の「有」ともいう










