日中の 懸け橋鑑真 大和上
鑑真和上は奈良時代の688年に唐(中国)・揚州(ようしゅう)江陽県(こうようけん)に生まれ、14歳で智満(ちまん)の元で出家し、18歳で道岸(どうがん)から菩薩戒(ぼさつかい)を受け、20歳から古都・長安(ちょうあん)で律宗(りっしゅう)・天台宗(てんだいしゅう)を学んで修行を積み、江南第一の大師と称されました
その後揚州・大明寺(だいめいじ)の住職であった742年(天宝元年)に遣唐使(けんとうし)として唐に渡った栄叡(ようえい)・普照(ふしょう)から伝戒(でんかい)の師としての招請を受け、奈良時代中期の753年(天平勝宝5年)に6回目の挑戦の末に来日しました
鑑真和上は5度の渡航失敗中に失明しました
来日後の5年間は東大寺(とうだいじ)で過ごし、大仏殿に戒壇(かいだん)を築き、聖武上皇(第45代・聖武天皇)から僧尼まで400名に菩薩戒を授けました
その後759年(天平宝字3年)に第40代・天武天皇の皇子・新田部親王(にいたべしんのう)の旧邸宅跡が与えられて唐招提寺が創建されると唐招提寺に移りました
なお鑑真和上は奈良時代後期の763年(天平宝字7年)5月6日に76歳で亡くなりました
金堂は奈良時代(8世紀後半)に中国・唐からの渡来僧で、律宗の開祖・鑑真和上の弟子で、渡来僧・如宝(にょほう)が建立しました
金堂は奈良時代に当初から金堂として建立された唯一金堂とも言われています
蓮池
なお2000年(平成12年)から開始された平成の大修理に伴う調査により、金堂には奈良時代後期の781年(天応元年)に伐採されたヒノキが使われていたことが分かりました
本尊・盧舎那仏(るしゃなぶつ)坐像(国宝)を安置しています
また薬師如来(やくしにょらい)立像(国宝)・千手観音(せんじゅかんのん)立像(国宝)・梵天(ぼんてん)立像・帝釈天(たいしゃくてん)立像・四天王(してんのう)立像なども安置しています
弁天社
金堂の屋根に置かれていた鴟尾(しび)は劣化が激しく、平成の大修理の際に新しい鴟尾に代えられました
蓮池
西側の鴟尾は奈良時代(8世紀後半)、東側の鴟尾は1323年(元亨3年)に造られました
グミの実











