東山魁夷が故郷・曽々木海岸をモチーフに描いた「濤声」(とうせい)

「濤声」(とうせい)が復興のシンボルになれば嬉しく思います( ..)φメモメモ

奈良時代に5度に及ぶ渡海の失敗を乗り越え唐招提寺を創建した「鑑真」の不屈の生涯を連想させる障壁画の構図と同じ岩が曽々木に現存した

生前に「濤声」(とうせい)のイメージに相応しい地は能登と語っていたことも確認されている

昭和46年から12年かけて制作された連作(山雲・黄山暁雲・桂林月宵・揚州薫風・瑞光)の1つで、鑑真和上坐像が安置される御影堂内の障壁画です

「おおまの岩」を左右反転させた姿とほぼ一致することも分かっています

鑑真和上御廟

55歳の時、渡日受諾

66歳、6度目の渡航で大宰府に入る

67歳、平城京に到着。聖武天皇以下、440余人に授戒

72歳、唐招提寺を創建

76歳、旧暦5月6日、西方を望み結跏趺坐して

    入滅。僅か10年で大業をなされました

鑑真和上の1200年忌を記念して1963(昭和38)年に中国仏教協会から唐招提寺へ贈られた​​​「瓊花」(けいか)の木が御廟の傍に植えられています

趙紫陽首相が手植えされたものです

5月17日国宝展に続き、大阪市立美術館から戻られた「寿像」(和上坐像)と二度ご尊顔を拝することが出来ました

唐招提寺創建から4年後、弟子の忍基は和上の死期が迫っていることを悟り、弟子たちと相談して、その容姿だけでなく精神性をも映す御影の制作を企てました

和上の教えが永遠に伝わるよう、子々孫々にわたって和上と結縁できるよう寿命が尽きる前に姿を写し取ったその像は「寿像」と飛ばれ、尊顔を拝すれば和上が経てきた艱難辛苦が偲ばれます

御廟では薫香が焚かれて今なお和上への慕情が尽きぬ浄地となっています

震災後、千体仏前のコンクリート展望台と、左上の千体仏が残っているのが確認できました

おおまの岩(左端)かな?

隆起して軍艦のようになった岩礁

鑑真和上の故郷揚州と唐招提寺と能登と結ぶご縁