絶景と 歴史を学ぶ ハイキング

高崎山城は1593年の大友氏の廃絶により廃城となり、現在では遺構のみが残っている 

別府湾にせり出した高崎山のために、大分と別府の間は難路として知られていた

かつて別府・大分間の交通は高崎山の裏側の錢瓶峠や赤松峠を超える峠道が主で、近道をしようとすれば海路を選ぶか、干潮を待って崖下の隘路を歩いて通るしかなかった

1694年(元禄7年)にこの地を訪れた貝原益軒は『豊国紀行』に「別府より船にて府内に行。漕出し後は日よりもしづけし。高崎山の麓を行。高崎山は別府の東南の海辺に有。山上に大友の城跡有。陸地を行ば高崎の西の方。赤松嶺をこす。難所なり。」、「歩行にて行ば、東の海辺なる、がけ道を行よし。道細くして危しと云。」と記している

別府・大分間に湾岸沿いの道路が開通したのは1875年(明治8年)のことであった

高崎山は由布岳、鶴見岳等が連なる火山群の南東端にあたり、別府湾にせり出すように屹立する

現在は火山活動を終えているが、約50万年前の更新世中期に活動した溶岩ドームである

瀬戸内海国立公園内に位置し、日本山岳会東九州支部が選定した大分百山のひとつ

別府湾側の山麓には、山中に生息する野生のニホンザルを餌付けした高崎山自然動物園がある

また、別府湾とは逆側に位置し、田ノ浦海岸や柞原八幡宮等からアクセスできる南登山口からは、高崎山セラピーロードと呼ばれる頂上まで続く登山道が整備されている

観光班5名用にハイキングコースとして設けたが、標高差350m、5.5kmと手頃であった

城島高原

九重連山

由布岳&鶴見岳

別府湾、国東半島