牛ケ峰 修行の地 物語り
岩屋桝形頂上部
宥海は五輪塔を建てて師の菩提を弔っていましたが、天正10年10月、おもいがけなく信長が本能寺で明智光秀に殺されたのでした
安心した宥海は、故郷の滝村でお寺を継ぐことをきめ、岩屋寺にあった阿弥陀如来像や、弘法大師が唐から持ち帰ったという五鈷杵などを持って滝村へ帰り、七仏薬師院の跡に立派な滝仙寺を立てたのでした
岩屋、枡型は開山以来、人々の霊場として広まったのですが、世の流れと、とくに明治元年(1868)の神仏分離令によって起きた廃仏棄釈の波により、荒れ果てるままとなりました
降って明治25年(1893)9月、北野西村の人びとが枡型岩に足場を組んで、枡型を開き、一般に公開しました
それは弘法大師が岩屋の大日如来と、もう一か所奈良市丹生町のソガオ地蔵像を岩に彫る時、使ったと伝えられるのみとつちが枡型に納められてあるのを公開し、霊場を明らかにすることにありました

この開扉の大法会によって、岩屋・枡型は広く世に知られるようになり、枡型大師・ソガオ地蔵の巡礼が流行したのでありました
布目ダムの流れを真下に見下ろす牛ヶ峰の岩屋・枡型は今幾多の歴史の謎を秘めながら、村内外の人々が目を見はる探訪の地となっています
桝形石と弘法大師石像の祠
山添村「岩屋・桝形ものがたり」お終い
人々の修行の聖地
別次元の世界に入り込んだようです










