小富士山 急斜面を 用水路
白米千枚田は、能登の代表的な観光資源として、古くから全国に名を知られ、昭和31(1956)年には、輪島市文化財指定名勝に指定された
生産調整が行われた1970年代には、平地との生産費の差を補償し、観光資源として保存することとなり、耕作者と市との間で、休耕や原形を変更しないことを主体とする契約が締結された
現在、全国の棚田の中で、一枚当たりの面積が最も小さく(平均面積18~20㎡)、日本を代表する棚田として、平成13(2001)年、国指定文化財名勝の指定も受けた(枚数1004枚、面積40,051㎡)
一方、急傾斜・小面積の水田での米づくりは、機械による効率化が難しく、人力に頼らざるを得ず、作業に手間ひまがかかり、重労働となっている
後継者不足と高齢化により、地元農家だけでは、耕作を続けていくことが難しくなっている
平成18(2006)年には、白米町近隣の農家が「白米千枚田愛耕会」を組織し、一部の耕作を行うとともに、翌年には、白米千枚田オーナー制度も始まった
そのほか、ボランティアの支援なども受けながら、耕作が続けられ、景観が保全されている
石英粗面岩を主成分とする海食崖が随所に展開し、それらを縫うように急峻な傾斜面が広がる地すべり地帯であり、水田や用水を築き、水源地から水を引くには、高度な農業土木の技術が必要である。
棚田は、米の生産の場であるとともに、地すべりなどの災害を防止する機能も同時に果たしてきたともいえる
白米の主要なかんがい用水である谷山用水とサソラ用水は、辰巳用水を築いた板屋兵四郎により、寛永9(1632)年以前に開削されたと考えられている
17世紀前半は、加賀藩により田地開発が奨励され、外浦一帯では、新田開発が盛んに行われた
谷川用水とサソラ用水は、小富士山(424m)の北、東斜面を水源とする小河川から引水している
用水が築かれることで、海岸にまで至る棚田の開拓が可能となった









