両陛下 戦後13年 行幸

昭和天皇御製碑

昭和33年に行幸啓された時の記念碑

“かづきして鮑とりけり沖つ辺の舳倉島より来たるあまらは”

汐見橋、猫地獄

倒れた記念碑

大谷句佛の句碑 句佛師は東本願寺の管長であり、昭和3年に来輪された本名大谷光演師である

“念佛の味をも能登の干鮑あわび ” これらの3つの句歌は奇しくも「あわび」を題材として詠まれているのが共通項であっ て、それほど輪島はあわび貝という特産物を全国に移出していたことの証左として特筆したい

倒壊した石碑

嘉永2年(1849)の「浦口銭取立書上申帳」によれば、同年に輪島港へ入ってきた商品 や、その積み出し港が分かり、口銭徴収品目数125、船数は延べ75艘となっている

まず、輪島へ入ってきた商品のうち、口銭の多いものは、小麦、漆、米、蝋燭、菜種油 である

小麦は勿論輪島素麺の原料である、新潟、寺泊からが多く、近在の伏戸、大野、 時国、小田屋からも入ってくる

菜種油は素麺作りにも使用されるもので、敦賀や三国からも入ってきている

米は秋田米、庄内米、越後米が多く御国米としては岩瀬・滑川・魚 津・水橋の御蔵米や町蔵米が約1300石も入津している

輪島塗関係用品では、漆は新潟、 今町からのものが多く、その他の用品はほとんど敦賀からのものである

※輪島港の「みなと文化」 中村 裕著参考