水貝と 姓を改め 僧侶に
大坂夏の陣(1615)で活躍した武将、後藤又兵衛。六尺(約180センチ)を超す巨漢で、槍の名手
かつて講談師が語る講談や歴史読み物で豪傑として描かれ人気を博した

黒田孝高(よしたか)、長政の父子に仕えた
長政に従って、文禄元年(1592)の豊臣秀吉の朝鮮出兵や、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦に出陣、数々の武功をあげた
その後、時の将軍徳川秀忠は、大坂城主の豊臣秀頼を滅ぼそうと挙兵
豊臣方は堅固な要害である大坂城に籠城、この時も、又兵衛は籠城軍の大将として活躍した
いったん、和睦が成立したが、翌年、戦闘再開。五月、大坂城はついに落城し、豊臣家は滅亡。この時、又兵衛も河内の道明寺の戦で鉄砲隊の銃撃を受け戦死した
又兵衛は、戦には敗れたが、実は、紀州(和歌山県)を回って、大和の宇陀へ知人を頼り落ち延びたという
本郷の地の温泉で傷を癒やし、大坂の豊臣家再興の時を静かに待っていた
だが、時代は徳川家の天下となるや又兵衛は武士をやめ、僧侶となった
姓も、後藤では敵の徳川方に狙われると案じ、「水貝」と変えた
水貝は、毎日念仏を唱え、亡くなった豊臣方の多くの武士の霊を弔ったといわれる
江戸時代中期に建立された「中興開基水貝五代後藤氏」と刻まれた墓が当地の薬師寺に残る
「又兵衛桜」も後藤家の屋敷跡にあるということだ









