秉田(ひきた)社は 龗山(りょうざん)の池 豊の明り

秉田(ひきた)神社扁額

祭神は大己貴命

ミモロ山(御諸・三諸)の神といい、国作りや国治めを手伝ったとされています

古事記には、わたしの御前し来てよく祭りなさい、そうすれば快く一緒に国作りを完成させましょう。倭の青垣の東の山の上にいつき奉れ、と

当社はいつ頃から祀られるようになったかよく分かりませんが、白河集落の背後、巻向山の山口に大和川の源泉で、地元では龗山(りょうざん)の池と呼ぶ沼池があり

古代には、ヤマト王権の宮都の一角にあって、三輪山に祀られる以前、時の天皇の仰せにより、ミモロ山の神・大己貴命を祭祀したことに由来する

崇神天皇の御代、国内に疫病が流行り、白河氏の先祖で三輪君の始祖・大田田根子がミモロ山に神の祭祀をすると疫病が終息したとあります

天皇の行幸と「四道将軍を遣わし、全国に教化した」とあり、国家を代表する祭りであった

以降、神の祭祀が継承されて、「古事記」雄略天皇には引田部の美しい乙女・赤猪子が歌謡に「ミモロの神に長らく仕えた宮人」と述べています

日本書紀天武8年(679)には、雨乞祭祀が三度行われ、天皇が行幸して、龗山(りょうざん)の池で幾日間籠り徹夜の酒宴(豊の明り)の直会に臨まれています

白河は「こもりく」といわれるところで、龗山(りょうざん)の池一帯は、泊瀬や始瀬の檜原ともよばれる

万葉集には「三諸つく三輪山見れば隠口の始瀬の檜原思ほゆるかも」と詠まれている

秉田(ひきた)神社氏子敬白とあります