ダンノダイラ 隠国(こもりく)の 台地 崩れ落ち
秉田神社の桜巨樹
遠くからでも見えます
古地名に由来し史料には曳田、辟田、短田、引田の字が見える
創建はヤマト創世弥生時代の古社で、地元の歴史研究家、榮長増文氏は著作(原始三輪山)で、元は巻向山~ダンノダイラ隠国(こもりく)の山頂台地に鎮座していたと推理している
かつて、白山神社とよばれたこと、元は轟滝(とどろきのたき)に鎮座していたという記述から、原始三輪山の榮長氏は、北西の巻向山山頂付近~西北西のダンノダイラ付近から、土砂崩れで崩落した地層とともに、現在地の谷底(秉田神社谷)に落ちて来たのではないかと推理しています
若き雄略天皇(若建命、古墳時代中期)に見初められた少女・赤猪子(あかいこ)が、天皇が宮中に召すという言葉を信じ約八十年待っていたというお話が口伝として残る
白河の伝統行事「けいちん」
毎年2月11日に秉田(ひきた)神社で行われる「けいちん」は、境内で、梅の枝で作った枠に「鬼」と書いた半紙を張り付け、それを新しい梅の枝で作った弓矢で射ることで厄除けを祈る行事です
かつて出雲から移住した出雲民族は、三輪山にて太陽の女神を奉じていました
政権運営には人気の巫女が必ず必要な時代でした
物部政権に滅ぼされた出雲王家の分家は「豊国・ヒボコの連合軍」によって三輪山を奪われ、西側の出雲屋敷地区から東の出雲地区へ追い出されてしまいます。最初に住んだのがダンノダイラと呼ばれる地形
巻向遺跡はその前後の遺跡との事です
太陽の女神は物部王の王女によって最終的に伊勢神宮内宮に落ち着き、豊国の奉じていた月の女神は外宮に収められます
これが伊勢神宮が出雲系と言われる理由、千木が内宮と外宮で違っているという出来事のあらましです
後に島根の出雲本家を滅ぼした物部王の計略により、東出雲王家の野見の宿祢により三輪山は奪還されますが、その時に三輪山の神様が事代主=男神に変わりました
相撲神社と兵主神社はヒボコの子孫(タジマノモリ)と野見の宿祢の戦いの故事を暗示していると言われています
豊国軍の巫女の豊来入姫は暗殺され、弟の豊来入彦は東国に逃れていったそうです、千鹿頭神社の勢力と習合していきます











