朝もよし 紀路のしげ山 わけそめて 木種まきけん 神をし思ほゆ・・・本居宣長

紀伊国一宮「伊太祁曽神社」

旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社

和歌山市内にある日前神社・國懸神社、竈山神社、伊太祁󠄀曽神社に参詣することを三社参りという

御鎮座の時期については明らかでないが、『続日本記』の文武天皇大宝2年(702)の記事が初見になる

古くは現在の日前宮(日前神社・國懸神社)の地に祀られていたが、垂仁天皇16年に日前神・国懸神が同所で祀られることになったので、その地を明け渡したと社伝に伝える

その際、現在地の近くの「亥の杜」に遷座し、和銅6年(713)に現在地に遷座したと伝えられる

日本書紀によると、高天原を追われた素戔嗚尊とその子五十猛神は、共に新羅に降り立つがその地を気に入ることはなく、船で出雲国に移動した

そして素戔嗚尊は高天原から持ってきていた木の種を五十猛神に渡して日本中にその種を蒔くように命じた

五十猛神は妹である大屋津姫命・都麻津姫命と共に九州から順番に日本中に種を蒔き始めて国中を青山にし、最後に木の国(紀伊国)に降り立った

このことから五十猛神は有功神(いさおしのかみ=大変に功績のあった神様)とも呼ばれ、紀伊国に祀られることとなった

境内図

日本書紀では木の神様、古事記では大国主命を救った「いのちの神」として登場する