初代 文貞坊は 根来僧
熊野古道沿いに佇む「旧中筋家住宅」
江戸時代末期に栄えた和佐組大庄屋の屋敷
主屋は嘉永5年(1852)に建設され、3階の望山楼や20畳敷きの大広間など、紀の川流域随一の規模を誇っています
主屋のほか表門、長屋蔵、御成門などが、国の重要文化財に指定されています
屋敷地が南北約57メートル・東西約40メートル、敷地面積が約2,200平方メートルあり、その外周は土塀で囲まれています
屋敷地の東側と南側には堀のような水路がめぐっており、東側は熊野古道に面しています
南側の水路にかかる石橋を渡ると表門があり、門をくぐると正面に主屋がそびえています
屋敷地の北西には内蔵、北西隅には北蔵、西側には長屋蔵が建っています
主屋の南と北には庭園を配し、屋敷地の北端には御成門を設けています
そのほか敷地内には、未指定文化財の味噌部屋、茶室や人力車庫などがあります
主屋は、嘉永5年(1852)の建築で、規模が大きく接客空間の充実した複雑な間取りになっています
北側に二十畳敷きの大広間、三階に望山楼を備えた特徴的な造りです
屋根は、本瓦と桟瓦で葺き分けています
桟瓦には丸桟瓦と呼ばれる、和歌山独持の形状の瓦を使っています