布施屋地名 由来となった 歓喜寺

井谷山「歓喜寺」

臨済宗妙心寺派、本尊は、薬師如来

布施屋の地名由来となったと言われる、布施屋をおこなっていた歓喜寺

歓喜寺所蔵の中世文書によると、現在地に創建された薬徳寺の一部に歓喜寺の寺基が移され寺号を改称して今日に至っている 

この寺は、熊野古道に近接するため、鎌倉時代から南北朝時代にかけて熊野詣の人々に便宜を図る目的で接待所なる施設を設けていました 

現地説明板では、幹周/3. 7m、樹高/13m、樹齢/推定約300年

現在、当寺が所蔵する9巻の巻子本と21通の文書は、中世史料の少ない紀ノ川下流地域には貴重で、県文化財に指定されている 

境内の柏槇は和歌山市指定文化財(天然記念物)に指定(平成3年4月12日)されています

城ヶ峯の西の山麓部、旧熊野街道の東に位置

最初蓮光寺と称され、文永5年(1268)正月の大法師恵鏡伽藍譲状案(歓喜寺文書)によると、宝治2年(1248)恵鏡によって開かれ、京都御霊社の南に位置していたという

この蓮光寺が紀伊国と関連をもつのは、文永元年3月、後鳥羽上皇の宮女大宮局が、上皇の菩提を弔うため、紀伊国和佐村・村の両村を寄進したことに始まる

以後、和佐庄下・南両村は重要な寺領となる

蓮光寺から歓喜寺へいつ名称が変わったかは明らかではないが、弘安4年(1281)の大鑁置文案(歓喜寺文書)に歓喜寺の名称がみえる

もとは密教寺院、比叡山延暦寺の末寺となったこともあったという

正応3年には後深草上皇から祈願所とする院宣(同文書)を得ており、以後も数度院宣を得、寺領(和佐荘下村・南村)の国役なども免除されている