貧しさが 勤勉努力 富を生む

大阪市に導入された路面電車を見て感動し、電気に関わる仕事を志し、16歳で大阪電灯(現:関西電力)に入社し、7年間勤務する

当時の電球は自宅に直接電線を引く方式で、電球の取り外しも専門知識が必要な危険な作業であったため、簡単に電球を取り外すことができる電球ソケットを在職中に考案する

1913に18歳で関西商工学校夜間部予科に入学した

1917年、大阪電灯を依願退職した

鶴橋町猪飼野(現:大阪市東成区玉津2丁目)の自宅で、妻むめのと、その弟の井植歳男(営業担当、後に専務取締役、戦後に三洋電機を創業して独立)、および友人2名の計5人で、同ソケットの製造販売に着手

中筋家裏門

祢宜地区

歓喜寺分岐

田園地帯

石仏

歓喜寺

熊野詣での接待所であった

徳本上人名号碑