家持の 能登巡見 南志見にも

能登客人の魁となった大戸家持

変わり果てた台地、潰された生業、傷ついた人の心、先人達が生きた証、時を超えて能登を訪れた生き様を藤平朝雄さん(能登半島広域観光協会相談役)が語る

天平20年(748)越中国守として能登を巡見した万葉人

家持の能登巡見は4月上旬から5月上旬、能登郡家(七尾)~熊来(中島)~磽石(仁岸)~剱地~鳳至郡家(輪島・大市)~南志見~待野駅(町野)~珠洲郡家(正院)

正院からは海路を七尾へ向かってい

高岡の越中国府に戻るまで1ケ月近く要している

国守は天皇の代弁者で律令国家を推進するために派遣された地方長官で、租税、戸籍の管理、都への年貢搬送、現地状況報告であり、管内視察は最も重要な政務であった

家持は越中国守を5年間務めた

能登国守のあと、因幡国守、薩摩国守、九州地方官、陸奥按察使鎮守府将軍を歴任

歴史の荒波にもまれながらも、生涯223首の和歌を残し、延暦4年8月28日陸奥国で薨去(67歳)最終冠位は中納言従三位兼行春宮大夫

※藤平朝雄氏「能登巡見の旅」参照