大王級 魏志倭人伝 銅鏡

前方部墳頂

前方部が撥型に開いていることが明らかになっている

古墳時代初期の内でも比較的新しいものであり、箸墓古墳に後続する時期に造営された巨大な前方後円墳である

この古墳の存在が知られるようになったのは、戦後しばらくたってからであり、雑木林に覆われて、単なる丘陵の観を呈していた

この古墳の後円部の空濠の外に、宗像神社があり、筑前国宗像郡の宗像神社と同神である

宗像神社は、全国に散在していて、この大和にある神社は、いつ頃からの鎮座か、さらに社殿が建てられた年代はいつなのか、詳細は不明である

しかし、北部九州系の神社が大和にあることは注目に値する

墳丘にしみこんだ雨水を抜くための石組の地中排水溝があることが、レーダー探査による調査で2007年(平成19年)に確認されている

国内最多の103面以上の銅鏡破片が見つかり、桜井茶臼山古墳の被葬者は「他の古墳の追随を許さない隔絶した地位にあった人物」であり、

「3世紀末の奈良盆地には邪馬台国とは比較にならない圧倒的な王権が存在したことが明らかになった」と発表した

橿原考古学研究所は淡路島南にある沼島産の石材も確認しており「巨大な石材を遠方から入手できる力があった」との見解を示しており、

またコウヤマキ製の木棺も出土し、初期ヤマト王権の大王の墓である可能性が指摘されている

銅鏡の破片の中に「是」とみられる文字が書かれていたものがあり、三次元計測によって三角縁神獣鏡と一致したと発表された

これを魏志倭人伝に記載されている、魏皇帝から卑弥呼へ下賜された銅鏡100枚のうちの一つであるとする説も出ている