秋山の 樹の下隠り 逝く水の 吾れこそ益さめ 御思ひよりは

外鎌山の南麓・通称、奥の谷に万葉歌人、鏡王女が静かに眠っています

日本書紀の天武紀2年(673年)に額田王が鏡王の娘であると書かれていることや、万葉集に、この鏡王女と額田王との唱和の歌があるという事より一般的には鏡王の娘で額田王の姉とされています

鏡女王は天智天皇の后で後に藤原鎌足の正室となり藤原不比等の生母です

近江国野洲群鏡里の豪族・鏡王(かがみのおおきみ)の娘で、万葉歌人である額田王の姉

冒頭の歌は、当時皇太子であった中大兄皇子(天智天皇)の 「妹が家も継ぎて見ましを大和なる大島の嶺に家もあらましを」 に答えた歌とされます

木の下を隠れて流れる水のように、決して表には見せませんが、お逢いしたいという私の思いの方が勝っておりますよ

天智天皇の「御思ひ(みおもい)」よりは、私の方が勝っている・・・「吾れこそ益さめ(われこそまさめ)」なのです

鏡女王は夫である藤原鎌足の病気平癒を祈願して山階寺(やましなでら)を建立しています

山階寺は後の興福寺のことです

その歴史を刻んだのは鏡女王です

中大兄皇子と中臣鎌足が談合を行った場所が、今も談山神社の裏手の山中に残されています

飛鳥寺での蹴鞠に始まり、不思議な縁で結ばれる盟友ですが、二人の固い絆は鏡女王抜きには語れないのかもしれません

将来は分からないにしても、せめてこの山懐の静けさだけでも、この国の未来にかけてこのまま残っていってほしいものである

犬養孝揮毫による鏡王女の歌碑