古代古墳 富雄丸山 主は誰

奈良交通「若草台中央」バス停すぐ

丸山を一周

奈良市街地から西方の富雄川右岸に築造された大型円墳

明治期に盗掘を受けたのち、1972年(昭和47年)の団地造成の際に発掘調査が実施された

墳形は円形で、直径109メートルを測り、円墳としては全国で最大規模

築造時期は古墳時代前期後半の4世紀後半頃と推定されている

丸山第1号街区公園

国史跡指定を目指すため2018度(平成30年度)より発掘調査が行われた

2022年(令和4年)10月、墳丘と同じく3段築成の造出から粘土槨の埋葬施設が新たに見つかった

西暦300年代の後半にあたり、崇神天皇から応神天皇の時代

「宋書倭国伝」によると421年、倭の五王にあたる讃が朝貢したという記録がある

前方後円墳と類型の異なる円墳ということで、ヤマト王権とは別系統の豪族ではないかと推測されている

富雄丸山古墳がある場所は、神武天皇が東征の際に戦ったと言われる長髄彦が領有していた地域

長髄彦には別名があり、登美能那賀須泥毘古、登美毘古、那賀須泥毘古、鳥見彦などがあります
トミ==>富雄と変化したとも言われます

長髄彦は神武天皇の時代であり、富雄丸山古墳の時代より2世紀ほど古いので、その子孫であれば可能性が出てきます