外鎌(とがま)山 別名多し 歴史の山
外鎌山標高292m、別名忍坂山(おさかやま)山頂から大和三山
「大和志」には恩坂山として「忍坂村東、連旦慈恩寺竜谷村、又有高円山小倉山之支別」とあります
万葉集巻八の岡本天皇(舒明天皇)ご製歌の「夕されば小倉の山に鳴く鹿は今夜は鳴かずい寝にけらしも」と詠われている、小倉山とも考えられています
5世紀に日本を統一国家にした、雄略天皇の泊瀬朝倉宮を眼下に見下す交通・軍事上重要な位置にそびえ立ち、
南麓にはヤマト王権を支えた重要な拠点といわれる忍阪があります
万葉集にも忍坂山は挽歌(人の死を悲しみ悼む歌)として、詠われています
隠国の 泊瀬の山 青幡の 忍坂の山は 走り出の 宜しき山の 出で立ちの くわしき山ぞ
あたらしき 山の 荒れまく惜しも 隠国(こもりく)は泊瀬(はつせ・・・長谷、初瀬)にかかる枕詞、
青幡(あおはた)は忍坂山にかかる枕詞で、走り出は山のスロープ、出で立ちは山の垂直性を表します
「泊瀬の山、忍坂の山は、家から出て眺めると姿の良い美しい山
この立派な山が荒れるのは本当に惜しいことだ」との意味と解釈されています。(日本古典文学大系より)
山頂からの展望










