皇軍が 築いた高城 日本最古

菟田(宇陀)の高城入口

神武天皇東征時、八咫烏に導かれて熊野から大和国へ進軍した皇軍が、ここで休息をするために築いた我が国最古の城跡と伝える

津風呂川沿いに遡り龍門岳で桜井市方面の長髄彦反乱軍の豪族軍の様子を調べた 

長髄彦反乱軍の豪族軍は集結しつつあった
早く兄猾(えうかし)を討たないと三方から包囲される危険性があることが分かった

佐野命は兄猾(えうかし)の本拠地のすぐ近くの佐倉に高城を築いて様子を探った 

兄猾(えうかし)は部民を集め佐野命軍と戦おうとしたが部民のほとんどは弟猾(おとうかし)に協力を誓っていたので、兄猾(えうかし)に協力を申し出るものは少なかった

この戦力では佐野命軍と戦うのは難しいと悟った兄猾(えうかし)は、新殿に天皇を罠にかけるための仕掛けを造り、佐野命軍に恭順を申し出た 

弟猾(おとうかし)が罠が仕掛けられていることを察知し天皇に進言した 

しかし、その真偽を確かめてからでないと兄猾(えうかし)を誅することはできないと思った天皇は、道臣命と大久米命に罠の真偽を確かめて、罠が本当であれば兄猾(えうかし)を誅するように命令した 

道臣命と大久米命が兄猾(えうかし)の屋敷に赴いて罠を確認すると弟猾(おとうかし)の奏上したとおりであった
道臣命は怒って部下に命じて兄猾(えうかし)自身をこの罠の中に押し込んだ。
兄猾(えうかし)は自分の作った罠にかかり死んだ