成り立ちは 火成活動 石英岩
大小約40の岩が、北北西から南南東方向におよそ850メートルもの長きにわたって一列に連続してそそり立つ
干潮時には岩の列中ほどに附属する弁天島まで歩いて渡ることができる
弁天島の西側には朱色の鳥居があり、それをくぐると小道があって少し登ると岸壁を背にした祠がある
1500万年前の火成活動により、泥岩層の間に流紋岩が貫入したものである
貫入後に差別侵食により、柔らかい泥岩部が速く侵食され、硬い石英斑岩が杭状に残された
橋杭岩に転がっている岩の中には、岩のそそり立つところからかなり遠くにまで転がっているものもある
これらの岩は宝永地震で起こった大きな津波によってそこまで転がったのではないかという調査結果が出ている
その証左として、元々湿ったところを好む植物・生物が死滅し、化石になったものが表面上に残っており、それらを調査したところ、宝永地震の起こった1700年代であることが明らかになっている
また、橋杭岩に散らばっている岩が動くのには秒速4メートル以上の速い流れ(流速)が必要とされ、
これもこの地域で頻繁に襲来する台風から起こる波や同じく震源域に近い東南海が震源の単独地震を想定して計算された流速ではなく、
東海・東南海・南海地震の連動型であった宝永地震を想定して計算された流速と一致している
宝永地震:1707年10月28日、東海道沖から南海道沖を震源域として発生したM8.6巨大地震
南海トラフののほぼ全域にわたってプレート間の断層破壊が発生したと推定され、記録に残る日本最大級の地震
地震の49日後に富士山の宝永大噴火が起きている










