河内国分 大和難波を 結ぶ要地
高井田山古墳は、公園の一番高い所にある5世紀終わりごろの円墳
前方後円墳の可能性もあるが一応、直径22メートルの円墳と推定された
墳丘頂部で多数の石材が検出され、石室の存在が確認された。石室は地山を平坦に整形して掘り込まれた東西8メートル、南北9メートル前後の楕円形の墓坑上に構築された横穴式石室である
古墳の作り方や、副葬品の様子から、朝鮮半島と関わりのあった人物の墓と考えられています
石室の上部は破壊崩落しており、玄室内に多数の石材が転落していた。石室の構造は扁平な板石を積み上げて築かれた片袖式横穴式石室である
石室内は盗掘により、かなり攪乱されていたが木棺に使用されたと考えられる鉄製の鎹(かすがい)の分布状況、副葬品の配置などから2つの木棺が置かれていたことが推定された
古墳時代中期以降の古墳の築造年代を推定するため最も手がかりとしやすい須恵器は壺、器台、脚付壺、有蓋高坏、無蓋高坏、ハソウなどが出土している
築造は西暦480-490年頃が考えられるという
被葬者としては横穴式石室の構造、規模が韓国宋山里古墳群など百済の王族クラスの古墳の石室に類似し、出土遺物にも熨斗のように共通点があることから百済からの技術工人らと共に渡来した集団の長で、王族に匹敵する人物を想定する説もある
具体的な被葬者としては、特に昆支王の墓に比定する説がある
2024年11月のかしはら広報には5世紀後半に亡くなった百済の王族が眠っていると記されています
横穴からは「船に乗る人物」など多くの線刻壁画が残ります
タブノキ?
国史跡「鳥坂寺跡」、「平尾山古墳群」にも関心を持っている










