豊かな 歴史を学ぶ 資料館

大いなる学び「大和川」

大阪平野に何度も洪水を起こした大和川は、宝永元年(1704)に付け替えられました

大和川の付け替え運動は万治2年(1659)頃に起こりましたが、金がかかる、工事が難しい、付け替えに反対する人たちが多くいることもあり、幕府は天和3年(1683)に付け替えはしないと決めました

大和川は龍田川と記されている

ところが21年後に、洪水が無くならないので大和川の流れが少しでも良くなるように工事をしてほしいとのお願いに変わり、幕府は急に付け替えることを決めました

河内木綿

1704年2月から10月まで僅か8ケ月というスピード工事でした

山仲間の岩崎さん達が継承されています

工事費は71,500両で、幕府は37,500両を負担し残りの34,000両は工事を手伝う大名が負担

線刻壁画

シュメール人が倭までやってきた?

元の大和川を新田にするに際し幕府に入った金が37,000両でほとんど回収できている

装飾古墳の半数以上が横穴で、装飾の方法としてもっとも多いのが線刻です

新田は、新大和川を作るためにつぶれた田畑の4倍に面積になり、幕府は年貢も4倍に増えた筈です

形象埴輪

洪水による被害、復旧工事費など考慮すれば、付け替え工事は大きな経済的効果がありました

楕円筒埴輪

この方法を考えたのは幕府の万年長十郎という人でした

柏原の豊かな歴史を物語る資料を数多く展示しています

奈良時代に河内で70、柏原市で14寺院跡が確認されている

発掘された寺院跡

平城宮と難波宮を行き来する天皇が宿泊した頓宮・離宮・行宮