紀元前の 古代より鎮座 神威地
創建は垂仁天皇18年(西暦紀元前12)と伝わる
古代、付近一帯は「玉作岡」と呼ばれ、勾玉(まがたま)などをつくる玉作部が居住しており、それが現在の玉造の名の起こりとなりました
豊臣徳川時代には大阪城の守護神として知られ、またここで豊臣秀吉・秀頼・淀殿などが千利休のお点前で茶会を催していたと伝えられています
豊國神社は天正4年(1576)の兵乱やその後の大坂城落城、また第二次世界大戦時の大空襲などによりことごとく焼失し、現在の社殿は戦後に再建されたものです
境内には秀頼奉納の鳥居や千利休の顕彰碑などのほか、難波玉造資料館もあり、古代玉遺物、玉の歴史や玉作り工程、古代土器など貴重な資料が展示されています
江戸時代のお伊勢参りでは、大坂以西の旅人達が玉造稲荷神社に参り、道中の安全を願い旅立った
この旅を引き継いで始められた「初詣・伊勢迄歩講」の起点
側面に「是より神宮まで百七十キロ」とあり、裏面には「勾玉の造(みやつこ)たちの頸飾り、菅の御笠にいざ旅立たむ」と歌が刻まれている
元禄時代、玉造稲荷神社に観音堂があり大坂三十三所観音の第十番札所であった
難波・玉造資料館
近松門左衛門の「曾根崎心中」や「卯月の紅葉」など、浄瑠璃の中に多くの参拝者でにぎわっていた当時の情景が描かれていることでも知られている
豊臣秀頼像
湊入りの玉つくり江に
こぐ舟の音こそたてね
君を恋ふれど・・・小野小町・新勅撰集より











