49日 迎え旅立つ 浄土へと

9月25日母が逝きました

お通夜27日・告別式28日 

式場:サンレ―金沢紫雲閣

独座観心:独り座って自分の心を見つめる

式を取り仕切られた福井へ避難されている菩提寺の住職さんが、「能登ではまともな葬儀が出来ない中、立派な見送りとなりました」と話されました

大正14年(1925)12月6日、長女として誕生

昭和天皇第1皇女・東久邇成子内親王と誕生日時が同じで表彰されたことが両親の自慢でした

その後、弟妹の2男・5女が誕生した

子守のため尋常高等小学校の登校はままならず、担任の橋田先生が心配して家庭訪問をして下さり、弟妹たちをおんぶして登校したと、子供の頃に聞かされた

14歳で尋常高等小学校を卒業後、子守や家の手伝いをしていたが16歳の時、京都七条にお手伝いとして奉公した

17歳の時「豊川海軍工廠」に招集され鉄砲玉の生産などにあたっていたが、肺結核のため家に帰り養生

豊川海軍工廠は昭和20年8月7日米軍B29の爆撃を受け多数の死傷者を出している

祖父・栄松は満州事変・支那事変・大東亜戦争で金沢第9師団に所属し中国方面へ出征していたが、終戦時は国内に従軍しており命拾いをしている

祖母はその間7人の子供を育てながら農業に従事し家庭を守っている

母が保存していた挺身隊の歌詞

肺結核、心臓病、糖尿病、潰瘍性大腸炎などを発症したが闘病の末乗り越えてきました

稲作、畑栽培、炭焼き、土方、出稼ぎと瘦身に鞭打ち働き続けた生涯。歌謡・舞踊が好きで、母の背におんぶされ島倉千代子などの歌をよく聞かされた。盆踊りの仮装大会には毎年のように参加し都度入賞していた

晩年は8人の孫に恵まれ、私たち3人と孫8人の幸福を祈り見守り続けてくださいました。感謝しかありません<m(__)m>