霞ヶ池 池泉回遊 武家庭園
江戸時代初期に、古沼と自然林を生かして作庭された庭園で、霞ヶ池の周辺には多くの大木が植生し、本多の森と一体の樹林を形成しています
この豊かな樹林を背景にして、蓬莱島を浮かべる霞ヶ池は、奥行きと広がりを感じさせ、静寂で深遠な庭園空間を構成しています 
また、旧加賀八家本多家下屋敷跡に位置する庭園は、本多家ゆかりの松風閣が移築され、かつて辰巳用水から霞ヶ関に導水されていた水路跡を遺し、旧加賀八家筆頭本多家の威光を今に伝えています
元和元年(1615年)、本多政重が3代藩主利常から現在地の周辺一帯約10万坪を与えられ、下屋敷地として本多家家臣団が居住する区域となりました
本多家2代政長は茶人の金森宗和と親交があり、宗和の子方氏が寛永2年(1625年)宗和の代人として加賀藩に仕えたことから、その指導を受けて作庭したものと推定されます
明治19年(1886年)に元本多家上屋敷から移築された旧広坂御広式御対面所が、明治40年(1907年)現在地に再移築された際に「松風閣」と改称され、庭園も松風閣庭園と呼ばれるようになりました
昭和43年(1968年)、北陸放送会館が竣工し、松風閣に増築するかたちで高台荘が完成しましたが、その際に庭園の曲水、護岸の一部が改修され今日に至っています
松風閣庭園は作庭当初の雰囲気を色濃く残す武家庭園の遺構
市内に類例のない旧加賀八家ゆかりの庭園として兼六園、成巽閣庭園、西田家庭園とともに各武士階層の庭園を代表するものとして極めて重要です
こんこんと湧き出る井戸水
MROの社屋をの裏手にありますが通り抜けることができません
鈴木大拙館との連絡口から入園することになります
入園は無料です










