行基さん 道真公も 眠る墓所

大正12年に豊崎町役場によって立てられた「行基菩薩開基南濱墓所」

行基の時代には僧侶が仏教を民衆へ布教することは禁じられていた

その決まりを破って近畿を中心に階層を問わずいろいろな人への仏法の教えを説いて回った

各地で大掛かりな土木工事も施工し民衆に篤く敬われた

南浜墓地は昔「浜の墓」と呼ばれていました

淀川が新淀川と大川に分かれた中州の地に豊崎はあります

今は住宅地ですが、その昔は湿地の多い大阪に特有の浜のつながる一帯で、「南浜」と呼ばれていました

 

約1300年前には亡くなった人を荼毘に付す(火葬する)には薪代などが係り、高価なものになってしまうので、一般民衆は土葬にするのが普通でした

行基により火葬をする習慣が始まったそうです

大阪には浜・梅田・加茂(蒲生)・千日・小橋・鳶田(飛田)・葭原(吉原)の七か所に荼毘所が設けられていたようです

水の都の衛生面を考えると火葬が一番です

この墓はその中の一つで、土・木・石の三仏を造って安置したと伝えられています

墓所の敷地は近代になってかなり縮小したのだろう

五輪塔を頂上に据えた墓石塔が四基も構成されている。どこにでもあるものだが、大きなものが四基というのは珍しいのではないだろうか

墓石の多くは砂岩の石柱で、文字を多く刻むことのできる、近世中後期から明治初期に多かったスタイル

しかし中には、中世後期から近世初期に墓石として多く使用された阿弥陀石仏も見られる