ゆく秋やほころびひどき頭陀袋
奥の院根本御堂の床下を通過し2ヶ所の鎖場を経て、空海が幼いとき飛び降りたといわれる稚児大師石像と護摩壇のある捨身ヶ嶽行場に至る
空海が幼少期に、多くの人を救いたいとの想いで断崖絶壁から身を投じた伝説が残る
幼少期に「倭斬濃山(わしのやま)」に登り、「私は将来仏門に入り、仏の教えを広めて多くの人を救いたい
私の願いが叶うなら釈迦如来よ、姿を現したまえ
もし叶わぬのなら一命を捨ててこの身を諸仏に捧げる」と、断崖絶壁から身を投じたところ、紫色の雲が湧き、釈迦如来と羽衣をまとった天女が舞い降り、雲の中で弘法大師を抱きとめて、命を救われ、願いが叶うことを示されたとの伝説が残っています
その後、青年になった空海が、釈迦如来が現われた倭斬濃山を「我拝師山(がはいしざん)」と名づけ、その山に釈迦如来の尊像を刻んで御本尊として「出釈迦寺」を創建したそうです
空海修行の場であり元々の「出釈迦寺」があった場所は73番奥の院「捨身ヶ嶽禅定(しゃしんがたけぜんじょう)」として今も残っており、現在の「出釈迦寺」が札所になったのは大正時代のことだそうです
大池&天霧山







