家持が 長浜の浦と 詠みし地

康治年間(平安時代)に整備された若山庄に御鎮守神として「若山社」と称した

その後に同地に荘園を置いた藤原長者家の一つたる九条家が、弘長元年(1261年)に若山社の宮司たる葛原伊勢守秀行をして奈良春日大社の御分霊を奉遷し、これを機に名称を春日神社としたことが始まりと伝わる

毎年7月20日・21日には当社の例大祭として『飯田町燈籠山祭り』が開催される

同祭は当社で祀る天児屋根命を夕涼みに迎えるため、江戸時代初期に始まったとされる

また、境内には万葉の歌人・大伴家持が、「長浜の浦」を詠んだとされる歌碑が建立されている

市役所そばの春日山麓にあり、大国主命ほか八神が祀られている古社です

荘園の各地に神供田を設置され今も各地に春日田の遺跡存在す

社地は数町歩の広大なる地域にて春日山と称え社殿を造営す

その後文明年間に現在地に遷され明治に到る

参道は馬場と称えられ一ノ鳥居、二ノ鳥居、一ノ橋、二ノ橋等その地形は鎌倉時代の神社境内を示す特長ありま

た本殿は室町時代の創建と伝えられ現在に移築せる後徳川前期頃飛騨の匠によって改築されしとも伝えられる

推定樹齢700年以上の大杉などがあり古社の雰囲気が感じられます

古くから神仏習合し別当寺院として報恩坊などが設けられましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され昭和6年(1931)には郷社に列しています

大伴家持が能登巡国の際に「珠洲の海に朝開きして漕ぎ来れば長浜の浦に月照りにけり」と詠んでいる

度重なる地震でダメージは大きい