高倉彦 勅使参向 崇敬す

蛸島漁港の東側に盛り上がった社叢の麓に拝殿が、上に本殿が鎮座する

伊勢神宮を想わせる拝殿

高倉彦神社の明細書には、崇神天皇(10代)の時に黒嶽山に創建され文徳天皇の時に三尾浦に遷座され、その時より勅使の参向がありる

この時代に、三尾浦神社と高倉彦神社とが合祀され山王宮と呼ばれ尊敬されており、

さらに永禄4年(420余年前)本国守護畠山義綱氏、本社を創建される(この時、神橋・神門・拝殿が建造さる)とあります

寛文7年、大火にあい爾来社号は廃絶同様になり、明治4年官に願い出て再称され、昭和19年5月郷社昇格を出願し、昭和21年1月10日、由緒上郷社に該当する旨、神祇院より内諾あり

以上、由緒を見ますと本社の遷座は文徳天皇(55代)の昔であり、約1160年を経過致します

明治33年に建物を整備し、遷座千年祭が執行されております

昭和43年7月には千百年祭が斎行されました

黒嶽山山頂に鎮座

本殿への階段

毎年9月11日夜、高倉彦神社(たかくらひこじんじゃ)神楽殿で『早船狂言』が奉納されます

キリコを従えた神輿が神社に還御すると、『早船狂言』が奉納されます

地元の「蛸島早船狂言保存会」が指導し、新成人が演じます

黒嶽山