高倉彦 三代実録 国史社

蛸島高倉彦神社

御祭神:高倉彦神、天津日高日子穂能迩迩芸命、大名持神、大山咋神、天児屋根命

「三代実録」には、貞観15年8月4日能登国従五位下高倉彦神、授従五位上とあり、本社は国史上のお社です

高倉彦神社の明細書には、崇神天皇(10代)の時に黒嶽山に創建され、文徳天皇の時に三尾浦に遷座された

その時より勅使の参向があり、この時代に、三尾浦神社と高倉彦神社とが合祀され山王宮と呼ばれ崇敬されており、

さらに永禄4年(420余年前)本国守護畠山義綱氏、本社を創建される(この時、神橋・神門・拝殿が建造さる)とあります

寛文7年、大火にあい爾来社号は廃絶同様になり、明治4年官に願い出て再称され、昭和19年5月郷社昇格を出願し、

昭和21年1月10日、由緒上郷社に該当する旨、神祇院より内諾あり

以上、由緒を見ますと本社の遷座は文徳天皇(55代)の昔であり、約1160年を経過致します

明治33年に建物を整備し、遷座千年祭が執行されております

昭和43年7月には千百年祭が斎行されました

近世中期後に漁業や交易で栄えた蛸島が、当時流行の歌舞伎や歌曲を古い早船行事に取り入れて特徴のある狂言を創めたものと思われ、芸能史上すこぶる注目されるのである

また、能登地方では地狂言が広く行われたが、現在は絶えて久しい