望郷 金時鐘が 生きた証

老生風人「金時鐘」

共生の本流願い 文化耕した知恵 先人の敬慕

人が住み着いた当初から

猪飼野は居ながらにして迷路であった

あぶくをまたいで橋が延び

対岸を見据えて街が切れていた

そこではその地の習わしすらも

持ちきたったくにでの遺習に追いやられ

日本語ともつかぬ日本語が

声高に幅を利かせて

通にまで異様な臭気をはびこらせ

得体のしれない食べ物が

おおっぴらにまかなわれて にぎにぎしかった

風紋もよしれず 蟹も這わず

澱んでも運河は下水を集めて川であり

異郷でくすんでゆく

年古りた家郷の実在であった

どこでどう河口が出会う海なのか誰も知らず

けんめいに集落が水路のへりで

ひしめいていたのだ

 

文化とやらは、もともと独自のものだ

三度のめしも欠かせぬ おしんこも

はては祭祀のしきたりまでも

在所でなじんだ風俗がそのまま

遠い日本でのゆるがぬ基準になっている

生きるよすがの意地のように

在日の老人たちはこだわって生きた

そのかたくなな執着が

物言わぬ整理の言語ともなって受け継がれ

代を継いだ世代たちの

心の奥の語りとなって今に至った

意固地なまでの在日の伝承があったればこそ

焼肉もキムチも誰もが好む

日本じゅうの豊かな食べ物に成りもした

 

周りはみな

つっけんどんなチョウセンジン

そのただ中で店を張り

共に耐えて暮らしを分かち

いよいよコリアタウンの日本人とはなった

いとしい隣の従兄弟たち

やはり流れは広がる海に至るものだ

日本の果てのコリアンの町に

列をなして訪れる日本の若者たちがいる

小さい流れも合わさって行けば本流さ

文化を持ち寄る人々の道が

今に大きく拓かれてくる

2012.4.9 朝鮮文学者 金時鐘