猪飼野は 人情味ある なつかしさ

年間200万人が訪れる観光スポットコリアタウンにある歴史資料館

猪飼野の歴史は、日本と朝鮮半島の間に生まれたさまざまな流れが古代から積み重なり、現在の生野区での多文化共生の町づくりに結びついています

なかでも、20世紀からの歴史は、日本と朝鮮半島を含む東アジアの歴史が、ここ、生野のコリアタウンに集約されていると言っても過言ではないでしょう

君が代丸に乗ってきた済州人

済州-大阪直行航路開設100年

猪飼野と いう地名は港であることを示す「猪甘の津」 に由来し、百済などから人びとが渡来し居を構えたのでした

1920年代には「日本国猪飼野」を住所地に 書くだけで、朝鮮半島とりわけ済州島からの 郵便が届いたといわれます

学生の頃に郵便物を見たことがある

当時、大阪は 「東洋のマンチェスター」と呼ばれるほどの 一大工業都市へと様変わりしつつあり、日本 の植民地下で困難な生活を強いられた人び とが、朝鮮半島そして済州島から生活の道を 求めて渡ってきました

家内工業としてプレスやサンダルを作る家が多かった

1910年の韓国併合以降、河川の改修工事に従事する労働者などとして朝鮮人が集住したのが始まりとされる

苦労話を聞かされました

そして、若い頃の苦労は買ってでもせよと 

戦前・戦後は在日コリアン向けの店が中心で「朝鮮市場」と呼ばれ、日本人はあまり寄りつかず、地域は民族を理由にした差別や偏見にさらされた

就職や住宅の入居を断られるなどしたが、在日コリアンらは団結して行政などと解消に向けた対話を重ねた

イベントや祭りで伝統文化を発信することで地域住民らと交流する機会を増やし、「共生」を目指してきた

人が訪れるようになった今だからこそ、コリアタウンの歴史を知ってもらいたい