網敷の 由緒となった 円座状

網敷天神社:御祭神 嵯峨天皇、菅原道真公

車道側の入り口

嵯峨天皇が当地「喜多埜(きたの)」に御行幸の際、頓宮を構え一宿された事に由来する 

当初は天皇の御名をとって「神野太神宮(かみぬだいじんぐう)」と号し、創建されたとあります

その後、菅原道真公が大宰府に左遷の際にこの地の紅梅をご覧になるため、船の艫綱(ともづな)を円く円座状に敷いてお座りになった由緒より綱敷天神社と称されるようになった

菅原道真公がご覧になった紅梅は「梅塚」と呼ばれ「梅田」の梅の字の由来になったとも言われているようです

境内末社に喜多埜稲荷神社と白龍社があり、宇迦御魂大神、白龍大神、猿田彦大神がお祀りされています

1945年の大阪大空襲で社殿をはじめ、多くを焼失したが、神宝の綱や御影はかろうじて難を逃れた

また、神山町の由来である神山も爆弾の直撃を受け、なくなっている

本殿、幣殿、拝殿は1956年、コンクリート造りで再建されている

渋沢栄一&アンネフランクリン

喜多埜「稲荷神社」

正門は阪急東通り商店街、北野万歳橋筋線に面している

若い頃、この辺りの飲食店によく通いました(^_-)-☆

心を穏やかにさせるには思いやりを持つことが大事である