本誓寺 左大臣姫 入嫁する
阿岸本誓寺
浄土真宗大谷派
庫裏
創建年は不明だが、古くは真言宗松岡寺であった
文永5年(1268)、善了法師が如信上人(親鸞の孫、本願寺第2世)に帰依したことで正式に真宗に改宗し「阿岸本誓寺」に改称した
慶長15年(1610)に加賀藩前田家の庇護のもと鳳至郡106ヶ寺を統轄する「触頭」となり、能登真宗教団最有力寺院として位置付けられる
天保10年(1839)に関白左大臣二条治孝公息女五百姫(いほひめ)、本誓寺24世に入嫁する
嘉永3年(1850)に二条家の位牌所となる
室町時代には能登地方での一向一揆の拠点となった
15世紀中ごろは大陸文化の玄関口であった能登の要所になり、織田信長が出陣した石山合戦では、能登門徒と本願寺の中継基地の機能を果たすようになり、能登における真宗の拠点であった
現在の本堂・山門・鐘楼・鼓楼は越後から招いた棟梁と約1万人の大工により13年に及ぶ大がかりで、完成したのは寛政4年(1792年)だった
本堂は岩手県の正法寺本堂、山形県の出羽三山神社三神合祭殿と並んで「日本3大茅葺き屋根」の一つである
門前の向かいの山が崩落












