百名山 深田久弥は 宝の山
しかし昔の人は素朴な直接的な名を付けるのが例で、燧岳は残雪が火打鋏の形に現れるからだし、至仏の南続きの笠ヶ岳は傘の形とみたからである
北続きのススヶ峰は笹分け峰の詰まったものといわれている
ひとり至仏だけに文学的な名をつけるはずはない
尾瀬ヶ原の北側に景鶴山がある
これなども平鶴山と書いた文献もあるそうだから、ヘエズルから来たのに相違ない
ヘエズルは匐いずるの訛ったもので、トラヴァースの意である
私が初めて至仏山の頂上を踏んだのは、大正15年(1926)の秋であった
上越線の開通以前である藤原から利根川を遡って、狩小屋沢から登った
当時はその沢には道が無く、飛沫を浴びて滝を攀じたり、岩を匐い上ったりしながら登って行った
沢を詰めると、頂上に至仏の全容が現れた
満山の紅葉で、その間に点々と浮島のように岩石が立っている
優美な紅葉の色調と、それを引緊めるように峻厳な岩と、双方のコントラストが実に見事な眺めを形作っていた
川上川に架かる橋
※深田久弥「日本百名山」参照









