阿武松 偉大な能登人 あっぱれ
能登町七見にある第6代横綱 阿武松緑之助碑
R249から内浦街道を走っていて見つけた
寛政3年(1791)に能登国七海村で生まれる
実家は農家で馬子だった
文化12年(1815)に江戸に出る
四壁庵茂鳥の『わすれのこり』によると、江戸・柳橋でコンニャク屋の下男をしているうちに力士を志したとされ、郷土では幼少より力自慢で力士を目指して江戸へ出たとされる
長州藩主・毛利斉煕のお抱え力士となり、扶持米50俵を給せられる
文化12年冬場所に東方序の口で張り出される(24歳)
31歳で入幕を果たし、37歳で横綱昇進
稲妻雷五郎と競い合って文政から天保にかけての相撲人気を盛り上げ、文政11年(1828)の3月場所で横綱に昇進した
これは、5代横綱小野川喜三郎引退以来約30年ぶりの横綱就任となった
就任当時歴代5人の横綱は全て鬼籍に入っていたため、唯一の存命横綱となっていた
近所のおばさんが飼っている猫、庭にもいたよ(#^.^#)
天保6年(1835年)に44歳で引退したが、初土俵以来一度も負け越すことはなかったという







