穴水に 頼朝墓が ある驚き

明泉寺石塔群在地

明千寺ルの部の明泉寺境内4,023平方メートルと、同寺明泉寺から約300m離れた明千寺カの部の通称鎌倉屋敷と呼ばれる墓地195平方メートルは県指定史跡

明泉寺境内には鎌倉末期から室町時代にかけての石層塔・五輪塔・宝篋印塔・板碑など石塔のほか、石仏や水船など約150基、鎌倉屋敷には約70基の五輪塔や宝篋印塔が現存する

これらの石塔群は、室町末期の「明泉寺境内絵図」にも描かれており、『能登名跡志』には「其頃(中世)は大加羅にて、今に十町の間に礎等其侭残りあり、

今も畠山重忠の寄進の石燈籠、梶原景時の寄附の大石の手水鉢(水船)あり、

頼朝公外将軍家の墓所(鎌倉屋敷)あり、境内広し。大石塔多くあり。」と記されている

石造五重塔(重要文化財)を中心とする明泉寺境内の石塔群、頼朝の墓と伝える宝篋印塔を中心として林立する鎌倉屋敷の五輪塔群は、まさに偉観である

白雉3年(652)の開創と伝える真言の古刹明泉寺の中世盛時を語るとともに、中世石材文化の研究資料としても注目されている

中央の高さ3mの宝篋印塔は源頼朝の墓で鎌倉との関係が深かった

建久年間(1190)頼朝の帰依により、諸橋本郷の内、高坂、上田、明千寺の三カ所が寄進され隆盛を誇った

現在の夥しい石造遺跡はその当時のものである

野に咲く花