五重塔 古絵図に残る 文化財

平安時代初期の弘仁年間(810~824年)には真言宗の開祖空海も当寺を訪れ修業したとの伝承があり、その際、空から降ってきて夜を照らしたと云われる明星石が伝えられています

その後は隆盛を極め、鎌倉時代から室町時代にかけて周囲に大きな影響力を持ち境内には20棟の堂宇が建ち並んでいた

天正5年(1577)、上杉謙信の能登侵攻の兵火により多くの堂宇、記録、寺宝等が焼失し大きな被害を受けました

境内には五輪塔、板碑、宝篋印塔などの中世の石造物が約150基、300m離れた鎌倉屋敷と呼ばれる墓地には約70基が残されており"明泉寺石塔郡在地"として昭和58年(1983)に石川県指定史跡に指定されています

中でも高さ約6.8mの石造五重塔(推定鎌倉時代中期作)は室町時代末期の境内古絵図でも描かれている石造物で国指定重要文化財に指定されています

明泉寺の寺宝として本尊で平安時代に製作された木造千手観音立像や藤原時代に制作された木造阿弥陀如来像、木造地蔵菩薩立像がありそれぞれ穴水町指定文化財に指定されています

北陸三十三ケ所観音霊場第18番札所

北陸三十六不動霊場第8番札所

御詠歌:ふだらくや岸打つ波は諸橋の 白雉の山におとう松風

御本尊:千手千眼観世音菩薩

庫裏

アジサイだけがにぎやかに咲いていた

被害が最小でよかったm(__)m