冬かれて休みしときに深山木は咲く春の待たれけるかな
神亀4年(727)陸奥の人、佐那(さな)が航海中に猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)の出現を感じ、海辺の大野庄真砂山竿林(おおのしょうまさごやまさおのはやし)に存していた神明社の傍らに一祠を建立し勧請したことをその創祀としている延喜式内社(えんぎしきないしゃ)
この神明社、即ち天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)を奉斎した社の創立年代は不詳ですが、おそらく飛鳥朝時代であると考えられています
この猿田彦大神を合祀してより、天平元年(729)には天に達し「佐那武大明神」(さなたけだいみょうじん)の称号を賜りました
しかし建長4年(1252)社殿が炎上したため、離宮八幡宮(現在の社地)に遷座されました
安宅彌吉顕彰碑・・・鈴木大拙記
安宅産業や学校法人甲南女子学園の創設者
大阪商工会議所会頭を務めた
鈴木大拙のパトロン的存在としても知られる
歴代朝廷の崇敬篤く度々の造営神宝の御奉納、勅使参向もあり、武将国司の神器社領の寄進がありましたが、一向一揆の乱により社殿の荒廃甚だしかったとされています
天正14年(1586)加賀藩主前田利家公が任国の際、社殿を再興し、社領を寄進されました
以降加賀藩主前田家の崇敬篤く、大野庄(現在の金沢駅西地区)の総社として社殿、神器の修築や寄進を受けております
真砂橋
明治5年郷社、同18年県社に昇格、同34年壱千弐百年祭が斎行されました
昭和25年壱千弐百五拾年祭、同41年神社本庁別表神社に加列されました
奉納された錨