八咫烏 平和のシンボル 太陽神

龍神スカイラインから途中R425を十津川村・果無集落へ向かいましたが、小又川付近で道路工事中のコーンがあり幅員が狭く、民家の住人に訊ねたらこの先も同様と言われ引き返すことにした

ドライバーと相談した結果、雨天で果無集落への道も危険と判断し本宮大社へ向かうことにした

雨の中、熊野大権現の階段を上る

社伝によると崇神天皇65年に熊野川の中洲、現在の大斎原(おおゆのはら)の地に創建されたとされている

祈りの道・熊野古道

「熊野権現垂迹縁起」によると、熊野坐大神は唐の天台山から飛来したとされている

熊野坐大神(家都美御子大神)は、須佐之男命とされるが、その素性は不明である

山田大兄が上って来られた

太陽の使いとされる八咫烏を神使とすることから太陽神であるという説や、中洲に鎮座していたことから水神とする説、または木の神とする説などがある

家都美御子大神については他にも五十猛神や伊邪那美神とする説があり、菊里媛神とも関係するとの説もあるが、やはりその素性は不詳とされる

古代から中世にかけて、神職はニギハヤヒの後裔で熊野国造の流れを汲む和田氏が世襲し、平安時代には式内社に列せられている

平安時代末期の末期には鳥羽上皇、後白河法皇、後鳥羽上皇などが幾度も熊野三山に足を運び、大いに賑わっている

平和のシンボル八咫烏