維盛が 護摩焚き占う 平家の末
日本300名山「護摩壇山」1372m
熊野の伝承では一の谷の戦い後に戦線を離脱して小森谷渓谷に隠れ住んでいた平維盛が、壇ノ浦の戦いで平家が敗れたことを知り、護摩壇山で平家の行く末を占ったという
その際に護摩を焚いたとの言い伝えからこの名が付いた
2000年までは和歌山県の最高峰と言われていた
森林公園方面
シロヤシオ銀座
花期は終わっていました
かつては標高1,000m以上に広ブナ林があったが、スカイライン周辺から枯死が広がっており、現在ではごく一部が残るのみ
稜線を龍神岳へ向かいます
石畳が敷かれています
振り返ると護摩壇山
NHK無線鉄塔