ありがたや 高野の山の 岩かげに 大師はいまだ おはしますなる

御朱印を手に

弘法大師は、讃岐(善通寺市)で生まれ15歳で京へ、20才で出家し、31才の時(804)に唐に渡り、都長安にて恵果和尚より正統密教を授かり『遍照金剛』の法号を与えられ、806年に帰国し、真言密教の普及に努めました

816年、嵯峨天皇より高野山を賜り、真言密教の根本道場として金剛峯寺を開いたのが開創になります

寺伝によりますと、「金剛峯寺」という名称は、弘法大師が『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経』というお経より名付けられたと伝えられ、東西約60メートル、南北約70メートルの主殿(本坊)をはじめ、座主居間、奥殿、別殿、新別殿、書院、新書院、経蔵、鐘楼、真然堂、護摩堂、阿字観道場、茶室等があります

奥の院燈籠堂の内には、消えずの火として祈親(きしん)上人が献じた祈親燈、白河上皇が献じた白河燈、祈親上人のすすめで貧しいお照が大切な黒髪を切って献じた貧女の一燈、昭和の時代にある宮様と首相の手によって献じられた昭和燈が燃え続けています

昼食会場の恵光院墓所

伊予大洲藩加藤家墓所

元和3(1617)年、加藤貞泰が伯耆国米子から大洲に入部して以降、明治2(1869)年の版籍奉還にいたるまで13代、大洲藩は加藤家によって治められました

わが故郷からも

まだ新しい

汗かき地蔵

みんなのためにいつも汗をかいていただいているお地蔵さまm(_ _)m