浜街道 南溟寺の 太鼓楼

1536年(天文5年)、本願寺証如に帰依した片桐某(明賢)が創建で当初は長泉寺と称した

太鼓楼

1670年(寛文10年)、江戸に長泉寺の寺号を移したため、ここは東本願寺の掛所となり大津御堂、御坊所と称した

庫裏

1678年(延宝6年)法海院樹心が入り、南溟寺の号を授け伯太藩主渡辺家の菩提寺となった

紀州街道の海側に平行して通る通称「浜街道」は、江戸時代後期以降の各時代の町家建築が多く残され、歴史的街道として泉大津市の貴重な文化資産となっている

本堂

この地は南溟寺を中心とした寺内町として発展したものとみられる

公禅院頌徳碑

浜街道周辺は泉大津市の毛布産業の発祥の地であり、江戸時代から漁業のかたわら真田紐を生産し、江戸時代後期から明治時代にかけては家内制手工業を確立、その後の毛布産業の素地をつくりあげた

延宝7年(1679)の「下条・宇多両大津村延宝絵図」(市指定文化財)には浜街道と呼ぶ道筋には内町筋との記載がある

南溟寺は、戦国時代の豪族斉藤氏や真鍋氏が居城とした大津城(真鍋城)の跡と伝える

本堂外陣の左手には、17世紀後半から18世紀初期のものと思われる紙本金地著色の華麗な襖絵4面があり、市内で唯一の本格的な障壁画として残る

寺域は楠木正成の家臣真鍋主馬大夫の居城跡と伝える

この地域は安土桃山時代、 浄土真宗寺院が中心となって計画的につくられた

伝承では、現在の南溟寺・緑照寺・強縁寺の3か寺の前身寺院が、文禄4年(1595)に旧宇多大 津村から現在地へ移転したと伝わる

寺内が整備 されたのはこのころであろうと思われます