元小津は 古くより祀る 八幡神

当社の創建・由緒は不詳

神功皇后が当地に上陸したとの伝承がある

猫ちゃんがお出迎え

社伝によれば、阿部朝臣広庭の八世の孫、三郎忠清なる人物が源頼義に付き従って奥州征伐で活躍した功により、当地付近を賜って和泉三郎と名乗り、「鶴岡八幡宮」(神奈川県鎌倉市雪ノ下に鎮座)に倣って康平七年(1063年)に八幡宮を勧請したとも言われています

「大津」の地名は元は「小津」と呼ばれました

厄除桃・御富岐玉

桃は陰陽道で魔除け厄除けの果実とされ、方位盤の四隅の玉は御富岐玉(みほぎだま)と呼ばれる祭具で、各方位を守護する青龍、朱雀、白虎、玄武の四神の力が宿ると言われています。ご参拝の折には、を手でさすり、そして自身の身体を撫でて祓い清め、お祈りくださいとあります

泉大津市のHPによれば『土佐日記』に「小津の浦」と見え、120年後の『更級日記』には「大津の浦」と見えるとあり、11世紀前後に小津から大津へと転化し、府中国府の港町として徐々に繁栄していったようです

明治四十一年(1908年)に神社合祀政策により式内社「粟神社」(式内町に跡地あり)を合祀しています

「小津」は、国津・国府津から転じたものといわれ、 和泉国の国府の外港という意味です

小津の港は、古くから畿内地方における良港として広く知られていたようで、『土佐日記』や更級日記に紹介されています

御神木「クスノキ」

摂社「式内粟宮」に祀られる「天太玉命(あめのふとだまのみこと)」は古代豪族の忌部(齋部)氏の祖神とされ、古事記や日本書紀にも登場し、陰陽五行思想に基づく占事や祭具の神として古来より厚く信仰されてきました

また、当社は、鬼門より人々を守護する社として、表鬼門に当たる丑寅(東北)の方位を背に建立されました