玉骨ハ縦南山ノ苔ニ埋マルトモ、魂魄ハ常ニ北闕ノ天ヲ望マン
南朝妙法殿
金峰山寺本坊
静謐
行宮「実城寺」他20ケ寺があった
後醍醐天皇は延元4年(1339)8月病にて悲運の生涯を閉じた(52歳)
延元元(1336)年、幽閉先の京の花山院を脱出され、吉野に潜幸された後醍醐天皇は、先ず吉水院に入られ、行在所とした
しかし手狭であるため、翌春、蔵王堂の西にあった実城寺を皇居とされ、寺号を金輪寺と改めた
仏舎利宝殿
この寺は、明治初年に廃仏毀釈で廃寺になり、建物一円も取り払われましたが、その跡に昭和33(1958)年、南朝四帝の尊霊と先の大戦での戦没者追悼の施設として南朝妙法殿が建設されていま
思いでの場所