乙女子が袖ふる山に 千年へて ながめにあかじ花の色香を…秀吉

大名行列の到着を待って花供懺法式が行われます

広場に石柵で囲まれた一廓があり、4本の桜が植えられている

元弘3年(1333)北条軍に攻められた大塔宮護良親王が落城前酒宴を催した故地とされているそうです

大塔宮はここ蔵王堂を本陣として鎌倉幕府を迎え討った

御朱印帳は5冊を超える

秘仏蔵王権現特別公開中

三体は「現在、過去、未来」を表す

高城山、青根ケ峰方向

蔵王堂は白鳳年間に役行者が創建したと伝えられていますが、それ以来何度も焼失と再建を繰り返しており、現在のものは天正20年(1592)に当時の天下人である豊臣秀吉の寄進を受けて再建されたものです 

秀吉はその二年後に武将や公家、茶人に連歌師など総勢五千人を引き連れ五日間に渡って吉野で花見を開催しました 

 

しかし初日から三日続けて雨が降ったことに秀吉がキレて、雨が止まなければ焼き討ちすると僧侶を恫喝し、全山挙げての晴天祈願を命じたそうです

 その祈祷は完成したばかりの蔵王堂でも行われたはずで、その甲斐もあってか翌日以降は快晴になったと複数の文献に記されています