窓失っても ともにに生きたい
曽々木海岸名勝窓岩から岩倉山山稜
随所が崩落
当分の間、曽々木から岩倉山は危険で登れません
窓岩ポケットパーク前の海岸
地震前は砂浜が狭かった
窓岩近くに住む観光大使の藤平朝雄は、「何百年もかけて作り上げられた風景が、一瞬のうちに変貌した。それだけの力を持った地震だったということだろう」と話されています
水無月祭り体験団を見送りに来た両親が仲間たちと触れ合った東屋も壊れた
春日神社の裏山
曽々木の名水に影響があるかも
隆起した岩、戦艦みたいだ
これから戦艦岩と呼ぼう
曽々木ポケットパーク、福ケ穴、接吻トンネル
藤平さんは1969年脱サラ後、能登の自然と祭に魅了され曽々木に移住された
窓失ってもともに生きたい
能登はやさしや土までもの精神が必ず生きるはずと話されています
大崩落したけど、よく見ると千体仏の有る岩が残っているではありませんか、奇跡的なことです<m(__)m>










